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音楽であれ、文章であれ、自分以外にの人に公開するものは基本的には受け手を想定しているものです。

「こんなこと伝えたい」とか「こんなものが求められている」とか。

ただ一方で、そういう細かいことを考えずに、
自分の中身をそのまま出したものというのも、
予想外の魅力が生まれることもあります。

なのであえて自由「気儘」に思ったことを書いてみよう、
というのがこのカテゴリーです。

誰も求めてないかもしれないけれど、
取り留めのない文章かもしれないけれど、
書きたいことを書く、そんなコンセプトです。

誰もが見られることを意識する時代

インターネットやSNSの発達で、
誰もが情報を世界中に発信できるようになりました。

それまでは物理的、技術的なハードルからマスメディアなどに限られていた情報発信。

その特権が個人に開放されたわけです。

多くの個人も自分を発信する中で、
「見られる」ことを意識するようになってきていると思います。

上手くニーズを捉えた発信をしている人もいれば、

一方的な自己主張の人もいたり、質はまちまちですけど。

いずれにせよ、こういった社会環境の中では、
多くの人が「こんなこと言ったらこんな風に思われるかな」とか、
「こんなふうに思われたいからこういう情報を発信しよう」などと考えているものです。

いやそんなにアナタのこと見てる人いないから、
とツッコミたくなる気もしますが、
僕もSNSの更新をほったらかしてると「生きてる?」とか連絡きたりするので、
案外見られてるもんなんですかね。

個人発信の情報の受け取り方

このように自由に個人が情報発信できることについて、
僕は肯定的に受け止めているのですが、
気をつけなければならないのは個人が発信している情報は極めて主観的という点です。

通常のメディアであれば発信される情報に対して、
複数人の確認や修正が入ります。

これがネット上の個人が発信した情報の場合、
発信者のみの視点しかありません。

人によっては客観的な受け取り方を想定して編集している人もいますが、

それでも複数人での編集には及びません。

通常のメディアでさえ、誤った情報や不適切な伝え方になってしまうこともあるわけなので、
個人発信の情報は「あくまで個人の意見です」という前提をもって受け取る必要があると思います。

繕うことを取り払う試み

他人に見られることへの意識が過剰になり過ぎると、
いつしか虚像が膨張してしまう懸念があります。

バーチャル空間でアバターとしての生活を楽しむのもありですけど、
あえて素の自分をそのまま出してみても良いのでは、と思ったり。

そもそも主観的なことが個人発信の情報の良さなんだとしたら、
中途半端に繕わずに、あくまで個人の意見を語るのもありなのかなと。

なのでこの気儘手記では、
あえて受け手の印象を想定せずに、
普段思ったことや、超個人的な話題など、
ありのままに発信していってみようと思います。

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