BLOG

ブログ

「なんか中国で伝染病が流行ってるらしいよ」

最初はそんなどこか遠いところの話のようなコロナ禍も、
あっという間に世界的な流行となりました。

音楽業界は今回のコロナ禍で、
飲食業界と並んで初期から直接的な影響を受けました。

ライブどころかリハーサルでスタジオに入ることも難しい状況。

そんなコロナ禍において、
ともすると「音楽って必要?」というような声も聞こえてきそうです。

ただ、色々と制限されたからこそ改めて気がつくこともあります。

非対面で行う音楽制作

録音機器やDTM(コンピューターで行う音楽制作)の発達により、
音楽制作のみであれば、
一人で最初から最後まで行うことも可能になりました。

とはいえ、僕が主に手がける音楽はバンド形態のものが中心のため、
各メンバーの感性がリアルタイムで交錯しないと、
おのずと出来上がるサウンドも変わってきます。

もちろん各自それぞれに録音して進めることも可能ですし、
アレンジが固まってからのレコーディングはバラバラに録音することが多いのですが、
アイディアを練る段階ではやはりセッションしながら創る方が良い結果になることが多いかなあ、と。

音楽に正解はないため、
一概に良いとか悪いとかは言えないのですが、
コロナ禍の非対面での音楽制作は、
いつもとは違う音楽になるのとは事実です。

アイディアを音にするそのタイミングで、
自分の意識の外から他の人の刺激を受けることって大切なんだな、って思います。

聞いてくれる人に届いてはじめて完成する音楽

音楽の起源って色んな説がありますけど、
その中の一つとして木を打つリズムなどを伝達手段として用いた、
というものがあります。

何かを伝達するには送り手と受け手が必要なわけで、
音楽は確かにこの伝達の要素は大きいのかなと。

「音楽を演奏する人がいて、それを聞く人がいて、そこでなんらかの感覚を共有する」

この時点ではじめて音楽が完成すると僕は考えています。

(もちろん、1人きりで音楽を演奏して、
自分だけで楽しむことも音楽の楽しみ方のひとつではありますが)

そう言った意味では、
演奏する人と聞く人が、
リアルタイムに感覚を共有できるライブは重要です。

配信でも、コメントもらったりはできますが、
どうしても部分的にしか感じ取れないんですよね。

2021年4月現在では、まだまだライブは難しい状況。

この状況下でどのように感覚を共有できるか、
常に試行錯誤しています。

音楽の必要性

創作の段階でも、演奏の場面でも、
人と人とが関わる部分が大きい音楽。

コロナ禍では「そこまでして音楽って必要?」といった声も少なからず聞こえてきます。

僕自身も、コロナ禍において無理をしてライブをやる必要性は感じていません。

ただ、音楽そのものの必要性については、
やはり大きなものがあるだろうなと思います。

多くの会社でリモートワークが広まり、
チャットでのコミュニケーションが主流になりました。

このことは、多くのメリットもあると思いますが、
デメリットとしては文字にされた情報しか伝わらないというところ。

文字にされる、ということはつまり発信者が一度文字にしてそれを客観的に眺めて、
「この内容で送ろう」という明確な意思で発信されるということです。

裏を返せば、本人が自覚していないような感情や、
伝えようとしない考えは発信されないことになります。

前述した「楽曲の反応をコメントでもらうことは部分的にしか感じ取れない」ということも全く同じです。

「良い曲ですね!」ってコメントをもらったとして、
ありがたい反面、どの程度の温度感なのかは分かりずらいですから。

話を戻すと、人間って文字だけのコミュニケーションでは到底満足できないんだと思うんです。

友達と飲みに行きたい、家族と旅行したい。
これはつまり同じ体験を共有した上でコミュニケーションを取りたい、ということ。

それと同じようなものとして音楽を楽しむ、
ということがあるんだと思います。

「生存する」ということに音楽は必要ないけど、
「生きる」ということには音楽は必要なんだろうなと。

1日も早く生で音楽をはじめ多くのコミュニケーションが自由に楽しめる日が戻ることを願ってます。

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。